四十九日
12/25無事に父の四十九日が終わり、お墓に納骨が出来ました。
父は昭和10年生まれ。子供の日に生まれて、戦争の時に、大阪から松阪に疎開で移り住みました。大学卒業後、教員を15年務め、ガン手術をキッカケに建設会社に転職。退職後はカメラに目覚め、毎年シベリアに渡る白鳥が、北海道に来ると車に泊まりこんで、一ヶ月から二カ月間撮影に出かけるのが毎年の恒例行事でした。ニコン主催で個展を、杖をつきながら新宿と松阪で開催。
11月、東京在住中最後のレコーディングが終わってすぐ連絡を貰い、再会した父はまるで眠ってるだけの様で、非常に安らかな顔でした。今年2月からずっと入院生活、もう食べる事も、自分で起き上がる事も出来ず、ただ点滴で生きている状態。手が動き続ける限り、書いたメモには、びっしり生きる言葉を残してくれました。
告別式の朝、親戚が京人形を持ってきてくれ、
「今日は友引やから、一緒に人形をいれやなあかん」
全く知りませんでしたが、友引に葬儀をする時は棺に人形を入れるものなんですね。静岡では友引は葬儀場が休みだと、エイジが話してくれました。
この京人形が本当に美しい舞妓さんの人形で、全く知識がない自分が見ても、良い人形だと感じる何かがありました。
火葬前の葬儀場、何か昨日の通夜とは雰囲気が違います。なんだろう、日が昇ったからかな、なんだろう、、なんだろう、、
あの人形さんが棺の横に飾ってあるからだと、気がついたのはお坊さんの読経中でした。位牌の隣で美しく佇む人形、あの厳格で、頑固な父があんな美しい京人形と一緒に旅立つ違和感と、これからの道のりが、一人旅では無いのだなという安心感が混ざっていました。
このあたりから、頭の中で変わった映像が流れだす。疎開で混み合った列車に乗る少年の父、学生時代の父、母とワーゲンでドライブする父、教員の頃の父、建設会社で働く父、屈斜路湖畔で白鳥を撮り続ける父、色んなシーンが全て舞妓さんが側に居る映像。
最後の出棺の時まで、火葬される最後のドアが閉まるまで、舞妓さんに導かれていく父の不思議な映像が続きました。これが、伊坂さんの小説なら京人形は死神の使いとかになるのかもしれませんが、何者でもいい、心から京人形にありがとうが言いたい。父を安らかに見送れました。
父の骨は真っ白。焼けた骨を係の人が、「顎の骨です」「肋骨です」とひとつひとつ取り出して順番に納めていく中、自分の番に納めたのは嚙り続けたスネの骨。今度は娘に、嚙ってもらえる様に頑張ります。
葬式の後、古いアルバムの新婚旅行の日付けを見ると11月。母も慌ただしくて気がついて無かったでしたが、ちょうど50年目の結婚記念日に父は旅立ちました。
クリスマスに四十九日、バレンタインデーに百か日。イベント毎に父を思い出す事になります。熱のうわ言で京都にいかなあかん、とよく言ってたと母に聞きました。どうして京都なのかはもう分かりませんが、京都に家族旅行に行く理由が出来ました。 アイヌの人とも仲良くなり、シマフクロウが撮れるポイントも教えて貰っていました。屈斜路湖にもいつか行って、お世話になった人達にも会いに行きたい。
病院で最後に話した会話は
「ケチケチすんなよ」
心に常に置いて、松阪での新しい生活に活かしていきたい。
今年一年、お世話になった皆様、ありがとうございました。家族、皆元気で暮らしています。
喪中の為、新年のご挨拶は出来ませんが皆様、よいお年を。来年も宜しくお願いします。
2016/12/30 20:25