ENDROLL(エンドロール) ENDROLL(エンドロール) ENDROLL(エンドロール) ENDROLL(エンドロール) ENDROLL(エンドロール) ENDROLL(エンドロール) ENDROLL(エンドロール) ENDROLL(エンドロール) ENDROLL(エンドロール) ENDROLL(エンドロール) ENDROLL(エンドロール) ENDROLL(エンドロール) ENDROLL(エンドロール) ENDROLL(エンドロール) ENDROLL(エンドロール) ENDROLL(エンドロール) ENDROLL(エンドロール) ENDROLL(エンドロール)
fc2ブログ

四十九日


12/25無事に父の四十九日が終わり、お墓に納骨が出来ました。

20161230202439f91.jpeg


父は昭和10年生まれ。子供の日に生まれて、戦争の時に、大阪から松阪に疎開で移り住みました。大学卒業後、教員を15年務め、ガン手術をキッカケに建設会社に転職。退職後はカメラに目覚め、毎年シベリアに渡る白鳥が、北海道に来ると車に泊まりこんで、一ヶ月から二カ月間撮影に出かけるのが毎年の恒例行事でした。ニコン主催で個展を、杖をつきながら新宿と松阪で開催。

20161230202441b03.jpeg

201612302024402f9.jpeg



11月、東京在住中最後のレコーディングが終わってすぐ連絡を貰い、再会した父はまるで眠ってるだけの様で、非常に安らかな顔でした。今年2月からずっと入院生活、もう食べる事も、自分で起き上がる事も出来ず、ただ点滴で生きている状態。手が動き続ける限り、書いたメモには、びっしり生きる言葉を残してくれました。

告別式の朝、親戚が京人形を持ってきてくれ、

「今日は友引やから、一緒に人形をいれやなあかん」

全く知りませんでしたが、友引に葬儀をする時は棺に人形を入れるものなんですね。静岡では友引は葬儀場が休みだと、エイジが話してくれました。

この京人形が本当に美しい舞妓さんの人形で、全く知識がない自分が見ても、良い人形だと感じる何かがありました。

火葬前の葬儀場、何か昨日の通夜とは雰囲気が違います。なんだろう、日が昇ったからかな、なんだろう、、なんだろう、、

あの人形さんが棺の横に飾ってあるからだと、気がついたのはお坊さんの読経中でした。位牌の隣で美しく佇む人形、あの厳格で、頑固な父があんな美しい京人形と一緒に旅立つ違和感と、これからの道のりが、一人旅では無いのだなという安心感が混ざっていました。

このあたりから、頭の中で変わった映像が流れだす。疎開で混み合った列車に乗る少年の父、学生時代の父、母とワーゲンでドライブする父、教員の頃の父、建設会社で働く父、屈斜路湖畔で白鳥を撮り続ける父、色んなシーンが全て舞妓さんが側に居る映像。

最後の出棺の時まで、火葬される最後のドアが閉まるまで、舞妓さんに導かれていく父の不思議な映像が続きました。これが、伊坂さんの小説なら京人形は死神の使いとかになるのかもしれませんが、何者でもいい、心から京人形にありがとうが言いたい。父を安らかに見送れました。

父の骨は真っ白。焼けた骨を係の人が、「顎の骨です」「肋骨です」とひとつひとつ取り出して順番に納めていく中、自分の番に納めたのは嚙り続けたスネの骨。今度は娘に、嚙ってもらえる様に頑張ります。

葬式の後、古いアルバムの新婚旅行の日付けを見ると11月。母も慌ただしくて気がついて無かったでしたが、ちょうど50年目の結婚記念日に父は旅立ちました。

201612302024386a6.jpeg


クリスマスに四十九日、バレンタインデーに百か日。イベント毎に父を思い出す事になります。熱のうわ言で京都にいかなあかん、とよく言ってたと母に聞きました。どうして京都なのかはもう分かりませんが、京都に家族旅行に行く理由が出来ました。 アイヌの人とも仲良くなり、シマフクロウが撮れるポイントも教えて貰っていました。屈斜路湖にもいつか行って、お世話になった人達にも会いに行きたい。

201612302024420f1.jpeg


病院で最後に話した会話は

「ケチケチすんなよ」

心に常に置いて、松阪での新しい生活に活かしていきたい。

今年一年、お世話になった皆様、ありがとうございました。家族、皆元気で暮らしています。

喪中の為、新年のご挨拶は出来ませんが皆様、よいお年を。来年も宜しくお願いします。

スポンサーサイト



2016/12/30 20:25

2016


新年明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願いします。

201601102256504da.jpg

2016はミニコミRUNがスタートしました。もちろん、無料、freeです。手探りと勢いだけで001がスタート。原稿を寄せてくれた瀬戸内ボインさん、akitsuさん、手伝ってくれた皆さんありがとう。試行錯誤、転がしながら、楽しみながら、作って行きます。


-RUN-001

2016 first issue 001

1.明東十自

2.海七の映画万歳

3.goodtime music akitsu's select

4.瀬戸内ボインの閲覧注意

5.東南アジアツアー記

6.海七版画

7.LIVE2016

【裏面】

新春創刊号特別付録※

2016バンドスゴロク

20160110225652a18.jpg

お正月に自分でやりましたが、なかなか!ルールはその時のメンバー次第。ROCKET物販、縁あるスタジオやライブハウスに置かせてもらってます。気になる人は見てみてください。

ブログ上ではまだマレーシア。随分書き留めるのに時間がかかり過ぎてますが、大きな糧になった東南アジアツアー。今年もUPしていきます。

まずは1/11!一番目にROCKET初発射です。


1/11(月) 新大久保EARTHDOM

HEAVEN "ロックンロール天国"

jajouka
ROCKET
JABARA
KIRIHITO
THE DEAD PAN SPEAKERS
NEPENTHES

OPEN 18:00
START 18:30
前売 1800円
当日 2100円
(別途ドリンク代 500円)

EARTHDOM
にて前売り発売

20160110230300823.jpg

2016/01/10 23:05

Kuala Lumpur




20151213005234be5.jpg
20151213005236912.jpg
201512130052384f0.jpg
20151213005408b6b.jpg

クチンの皆さんに見送ってもらい、いよいよ今日はマレーシア首都クアラルンプールでライブ。しかも今日は同時期に東南アジアツアーを回っている、LIFE.REALITY CRISIS と合流ライブ。他のライブ会場はどんなか、食べ物はどうか、トイレはみんな大丈夫か、話すのが楽しみだ。

マレーシアのトイレには紙がない。空港や大きい施設には、簡易シャワーが付いていて、それで流す。街のトイレに入るとバケツに水をくんで、手で洗う。10年前に旅行で行ったタイと、カンボジアでも紙がなかった。でも慣れてくると、大きいウォシュレットみたいで楽勝でした。

マレーシアの料理は、思い切り辛いかと想像してましたが、そうでも無く、カレー風味が多かったです。

コーヒーが、格別甘い!普通に頼むと、練乳が入ってる様にすたすら甘い。ブラックとメニューに書いてあるので注文しても、ミルク抜きなだけで砂糖はバッチリ入ってます。綴りもcoffeeでは無く、kopi、コピーでした。

冷蔵庫の様に冷えたエアアジアで無事、首都クアラルンプールに到着。空港ではジョーさんが迎えに来てくれていた。

20151213005409b81.jpg


ジョーさんは今回のツアー実現には欠かせない人物。Carburetor Dungのギタリストで、1976年にイギリスに行ってた兄の影響でパンクに魅了され、マレーシアにパンクを普及させた人。後バンド以外でも大手新聞で、コラム書いてたり、国から取材の援助金を受けアジアのパンクの文化、歴史を研究、執筆中。マレーシア国内、東南アジアではかなりの有名人。

76年当時、punkを知っている人は東南アジアで3人しか居なく、文通してレコードを交換したり、少しずつライブを増やしてシーンを作った東南アジアのパンクゴッドファザー。

クアラルンプールに滞在する3日間を奥様のイランさんのアトリエを我らの為に空けてくれていた。8人寝ても全く狭さがない広さ。有難い限り!街並みも素敵なところだ。

20151213005646b3f.jpg

荷物を纏めて会場へ

20151213010132195.jpg


移動中、街を見てると、クアラルンプールのビル、マンションは本当にデカイ。東京のタワーマンションも大きいが、こっちは団地がタワーマンション二つ分くらいある。

市街の工場、倉庫地帯の様な場所を曲がると、punkだらけ!50人前後が溜まっている。今日のライブ場所に着いた。中に入ると早速LIFEのメンバーに合流!まさかマレーシアで合流ライブ出来るとは!バンドを続けてよかったと思った瞬間でした。

20151213010133693.jpg


会場中も、外も人だらけ。昔、16歳の時、見に行った京都の西部講堂の雰囲気を思い出した。今日はマレーシア、日本、オーストラリアのバンドが集まるフェスだ。3人の企画者の話し合いで、一緒にする事が決まったと教えてくれた。初日のクンダサン、2日目コタキナバル、3日目クチン、どこも素晴らしいライブだったけど、全てはここ、首都クアラルンプールに向かって進んでいた事を感じました。

街を流れるクラン川とゴンバック川の合流点、そこをクアラルンプール、「泥(lumpur)が合流する場所(kuala)」名前の由来も合流のクアラルンプール。今日のライブにぴったりだ。

20151213010138795.jpg

入り口すぐの階段に物販スペースを設置。スタート16時だけどもう18時。まだ始まらない。まだ到着していないバンドもいて、ROCKETの出番は急遽繰り上がって2番目。


出ていくともの凄い数のフラッシュ!歓迎の熱気はここも凄い。汗だくになって、日本語の歌をいろんな国の人と共有する事、一緒に楽しむ事が、ただただ嬉しかった。

20151213010136664.jpg
20151213010134509.jpg


ライブ終了後、沢山の人が話しかけてくれた。全部は理解出来ないが、良いのはわかる。首都クアラルンプール、最高の感触だった。

FLUP OUT A.Aもいきなり初っ端からナオキが捻挫するも、最高のステージ!この頃から会場の温度はもの凄い事に。そして深夜0時過ぎ、LIFE、続いて、REALITY CRISIS、会場内にいるだけで汗だく。大盛り上がりで、感動の合流地点、クアラルンプールのライブが終わった。

20151213011038216.jpg
20151213011039513.jpg

2015/12/13 01:19

誕生

元気な女の子が誕生してくれました。温かく見守り応援して下さった皆さん、病院の皆さん、職場の皆さん、本当に有り難うございます。

2015120922403855c.jpg


産まれた時、東京のくもり空が晴れて、とても綺麗だった事を、いろんな想いで、見てた事を、大きくなってから話したい。

20151209224040a03.jpg

20151209224041f3c.jpg

精一杯頑張ります。

20151209224341ea8.jpg

2015/12/09 22:47

Kuching

アジアの仲間が動画を作ってくれました。丁度3日目に向かった猫の街クチンのライブ。ありがとう!

http://youtu.be/3YrSY9ldmK8


朝6時起床。朝8時の飛行機で移動だからバタバタの移動だったけど、運転してくれたラマンは、日本勢よりもっと寝てない。最後の最後までお世話になった!ありがとう。ラマンのバンドXRDMとFLIP OUT A.Aとのカップリングの予定も進んでるとの事。ぜひ来日して欲しいバンドだ。


201511230137347ed.jpg

ラマンとレイに見送られ、国内線で次の街クチンへ。

20151123013735cdf.jpg


空港ではユエンとバイが出迎えてくれた。

20151123014113635.jpg


ユエンの車に乗り込み、街を走っていると、隣に止まった若者がユエンに手を振っている。すごいな、ユエン!人気者だね?話してると、あれは教え子だと言う。ユエンの職業は大学の先生!一同びっくり。でも全く固くなく、音楽を続ける道を選んだら、自然に先生になっていたと話してくれた。
ラマンといい、ユエンといい、マレーシアパンクスは素晴らしい!

食事を済ませ、近くの川でボートレースをしているから見に行こう!

20151123013736165.jpg

現場はかなりの観光客が集まっていた。川沿いを散歩しながら観戦。歩いていると老夫婦とユエンの仲間に遭遇。老夫婦は奥様が日本人で、旦那さんが白人。旦那さんは日本にも住んでいた事がある有名な歴史研究者で、映画評論家らしい。黒澤明監督、五社英雄監督にも会ってインタビューした事があるそうな!凄いな、マレーシア!偶然の出会いに感謝だった。

20151123013738c82.jpg


猫の街で有名なクチン。いたる所に猫のオブジェ。野良たちもかわいい。

2015112301373915d.jpg


夕方まで休んでライブ会場に移動。2台に別れて今度はバイの車に乗った。伝統的マレーシア音楽がBGM。バイオリンと太鼓の奏でる音がとても気持ちがいい。バイパスぽい国道で、ほとんど高速道路みたいだ。

快調に見えたドライブ。いきなり車から異音!揺れ出す。パンクだ!路肩に止めてチェック。スペア無し!かなり走ったから、助けもかなり遅いだろうと、リハ無しライブを覚悟したが、意外に1時間も待たずユエン到着!全員に怪我がなかったのは、不幸中の幸い。本当に良かった。

この時にユエンが置いてゆく車に大きい枝を折ってボンネットに刺していった。マレーシアの事故車の目印らしい。

なんとか今日の会場AMING HOUSEに到着。 オーナーのマーはプロレスラー並みにでかい!しかも27歳。貫禄がありますね。

201511230146245f9.jpg


音出し終えて、ライブハウスの置いてあるフライヤーを何気無く見ると、なにやら、切り目を入れて折れ、みたいな説明書がある。しばらく読んでやっと理解できた!これはファンジンなんだと。本作りなどと、難しく考えず、自分達の好きな様、好きな事を世の中に紙に書いて出せばいいと!!

20151005002437fe0.jpg


20年近く、フライヤーをライブハウスで配ったり、貰ったりしてますが、どんなに高品質の紙を使っても、少し見て、捨てられるのがほとんど。この作り方なら、捨てられる前に散々読ます事が出来る!感動に震えました。また教えてくれる書き方が素敵だ!マレーシアスタイル。

いよいよライブ。今日はまた若い奴らが多い。話すと日本のケムリ、オールディックがみんな大好き。自分が15.16歳の時に地元で企画ライブしてた事を思い出す。集まって話してるだけで、最高に楽しかった。マレーシアのみんなが、元気に満ち溢れてるから、自分もあの頃のような気持ちになった。

しかし、なかなかなか!若い彼らの演奏がまた良かった!あのままガンガンライブを重ねて、続けて行ってくれたら素晴らしい事になるな。同じ歌をボーカル違いで三回やっていた。同じ様な事を自分らもしていたなあ。

夏に長期ツアーを敢行したたつやが、3日目あたりが一番辛かったと移動中に話してくれた。

今回のツアーも、ここクチンで3日目。毎日、毎日、次から次へ街が変わってゆく。移動の疲れも少し出てきた。今日のパンク事故はなんとかなったけど、この先はどうか?この後、ライブ5本、喉は持つのか?携帯が当たり前に慣れた今、wifiが無いと何処にも連絡が取れない。残してきた事は大丈夫か?不安材料がグルグル回る。

でも急に出番前に楽になった。どれだけ考えても、心配しても、答えは出ない。難しく考えず、あのフライヤーの様に、若い彼らの熱いライブのように、今目の前、この場所で、今日も汗だくになって、身振り手振りで話して、一期一会のみんなと身体ぶつけ合うのを、毎晩繰り返せばいい!飛び跳ねるFLIP OUT A.Aのライブ中、お腹に落ちてゆくのを感じました。

201511230152392b8.jpg


いざステージに上がるとみんな大歓迎!ステージには常に二、三人は登って一緒に歌ってる。灼熱のステージ、アンコールも頂いてぶっ倒れました。ドラムス、イヌイは熱中症寸前。シャワー完備の場所で本当助かりました。

20151123014626673.jpg


ライブ後はみんなで写真撮影会。こっちはぶっ倒れそうな暑さなのに、MA-1来て普通に騒いている子も居る。凄いなあ。未成年は、打ち上げ出ずにここでさようなら。みんな単車で闇に消えていった。ありがとう!クチンキッズ達!またね。

201511230152383c8.jpg


ライブハウスの並びにコインランドリー発見!急遽洗濯タイム。地元の人たちも多く利用してた。みんなフレンドリーで嬉しい。近所なら、単車に嫁、子供2人乗せて、ノーヘル当たり前みたいな感じでした。

20151123014627f00.jpg


ライブハウスはまだライブの余韻熱もあり暑い為、上半身裸でもok。誰かがギター弾きだして、ここでもアコースティックライブスタート。マージナルも何度か来ている場所で、みんなでマージナル大合唱。みんな歌えるのが凄い。素晴らしい事だ。

201511230146233ef.jpg


今日の寝床は、ライブハウスの中。オーナーのマーが、最後まで起きて、PCに向かい今日のライブの写真や動画をまとめてくれてた。クチンありがとう!これて良かった。

ハンディカムカメラの充電だけ確保して、寝れる隙間を探して倒れこんだ。

2015/11/23 01:32

 | BLOG TOP |  NEXT»»